沈む日本を救うか"マラーノ文学と雑神"

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 比較文学の四方田犬彦さんの「日本のマラーノ文学」と「翻訳と雑神」(ともに人文書院)を図書館から借りてきました。2008年 に第11回桑原武夫学芸賞(潮出版社)となった2冊です。マラーノ(豚)というのはスペインで改宗させられたユダヤ人の蔑称。あの有名なドン・キホーテがマラーノ文学だというから驚きです。

 「日本のマラーノ文学」はドゥルシネーアの話から始まります。ドン・キホーテが姫君とあこがれるスペインの田舎娘は豚の塩漬けが得意でした。イスラムやユダヤ教で豚はけがらわしいものとされる。これは彼女がキリスト教に改宗した隠れユダヤ人であることの暗示だというのです。

 8世紀から13世紀にかけて、イベリア半島はイスラム教徒の支配下にありました。スペインのコルドバを首都とした後ウマイヤ王朝は寛容政策をとりユダヤ、キリスト教徒を迫害しませんでした。しかし、キリスト教徒たちはレコンキスタ(再征服)の運動を進めて、15世紀末には半島からイスラムを駆逐した。キリスト教に改宗させられても、信仰を捨てなかった隠れユダヤ教徒がマラーノでした。イスラムは貧しい農民が多かったが、ユダヤは富裕層が多く、追放されたり魔女狩りと称してはりつけ刑も横行しました。

 セルバンテスの「ドン・キホーテ」は1605年のベストセラー。レコンキスタから1世紀を経た小説は、北西アフリカのモーロ人の歴史家がアラビア語で記録したものを見つけて編さんした、また聞きの形で物語が展開します。

 ヘブライ語(ユダヤ)の通訳も出てくる。このためスペインの歴史家の中には、セルバンテスがユダヤ系とみる説も多く、四方田さんはマラーノ文学と位置付けました。

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           (紅白の表紙絵はドン・キホーテのドゥルシネーア姫と豚だった)


 ドン・キホーテから始まって、四方田さんは日本の文学へ向かいます。日本のマラーノとは、在日朝鮮人のこと。韓国の大学に留学した1970年代は軍事政権下にあり、日本の歌や映画は禁止されていた。だが、場所によっては聞きなれた日本の流行歌を聞いた。「なぜ?」と尋ねると「チェイルギヨッポだから」という。「在日僑胞」、つまり在日朝鮮人の歌と説明された。「彼らが口にする名前は、私を驚かせた」。

 文学の世界でも同様に、朝鮮の本名を用いる人と日本名を名乗っている人がいた。出自をめぐる回避と拘泥の構造を従来の在日文学論とは別の角度から見つめる、というのが四方田さんの問題意識でした。

 もうひとつ、中上健次さんとの出会いと対話があった。被差別部落に生を受けた小説家から、差別と被差別の心理について教えられた。出自をめぐる同様の問題を抱えていて、文学の本質に触れると気づいたそうです。差別の問題に向き合い、その構造に切り込むのがマラーノ文学ですね。

 「翻訳と雑神」では、日本支配下の朝鮮の詩人金素雲(1907-81)と戦後の済州島事件で日本に逃亡した詩人金時鐘(85)を取り上げています。素雲は民族の言語が消滅するのを憂い、朝鮮の童謡と民謡を聞き取って日本語に翻訳し、その詩情を後世に残しました。時鐘は岩波文庫となった朝鮮民謡集、童話集をハングルに再訳しました。

 この2人を中心に、出自を詐称する行為にも似ている「翻訳者の使命」に切り込んでいます。雑神(ざっしん)というのは、世界との交流(グローバリゼーション)で入ってきた様々な宗教(神様)のことです。その教理を日本化する本地垂迹(じゃく)を編み出して翻訳する、神仏習合があった。キリストやアラーのような唯一神ではなく、いろいろな神様が並びます。

 鶴見俊輔さんとの対話(河出書房新社「いつも新しい思想家」掲載)が分かりやすい。「"越境の思考"で問い直す日本文化」がテーマでした。

 四方田さんは「すべて排除するとか、全面的に受け入れるというのではなくて、日本はいろんな形で仏教を受容してきた。今のグローバリゼーションもいろいろな解決策があるのではないか」と語りました。

 鶴見さんは「桑原武夫賞の2冊は根本的なところから日本文化を問い直し、雑神(土地神)の働きを復活させる一石になると思う。四方田さんのような"越境の思考"で考える人が出てくれば、日本の文化は世界の文化になる」と絶賛しました。

 四方田さんのマラーノ文学と雑神の薦めは、地盤沈下が著しい日本を立て直すヒントになると思いました。

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