つらいよ中間管理職~木佐木編集長悩む

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 「新年だからといっても、急に世の中明るくなったわけではない。この三が日の絶望的なニュースは、北アルプスの大学山岳部の遭難事件だった。…(大地震から4年)今年こそ復興の年にしたい。余震はまだ続いている。もう一度大揺れがくれば政治や経済の柱はぺしゃんこになるだろう。復興の掛け声だけに終わらせたくない」(1月3日)。さて、これはいつの誰の日記でしょう?

 正月早々、大遭難が起きる。世の中、なかなか明るくならない。震災の復興も歩みは遅い・・・今の日本?と思ってしまう。東北の大震災は2年前だから、ちょっと違う。

 正解は昭和3年(1928年)の木佐木勝さん(1894-1979)の日記です。遭難したのは早大パーティー11人で、雪崩に巻き込まれ4人が死亡しました。昔から、正月早々、暗いニュースが絶えないようです。(写真は1923年9月の関東大震災)

 木佐木日記・第三巻(昭和3年-4年)を登別市立図書館から借りました。便利なものです。札幌の図書館になくても、取り寄せてくれます。10日くらいかかりますが、もちろん無料です。

 木佐木さんは大正から昭和初めに中央公論の記者・編集長を務めました。日記は全4巻ありますが、高い本なので大正時代の1巻目だけの図書館が多い。

 第2巻(大正15年-昭和2年)をブックオフで見つけてはまり、次に1巻を札幌中央から借りました。こうなると3巻も読みたくなる。道立図書館の横断検索で登別と幕別で見つけました。
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 大正デモクラシー下の駆け出し時代、名編集長滝田樗陰さんに鍛えられたのが1巻、滝田さん亡き後の激動の昭和入りが2巻。3巻目は世界不況と戦争の足音が迫り、中公の部数も激減した冬の時代です。

 木佐木さんは昭和2年に編集長になったから責任重大です。昭和3年9月には、社長の麻田駒之助さんが引退、新社長に嶋中雄作さんが就任しました。

 9月25日(火) 「新旧社長送迎会」が今夜無事(?)に済んだ。あれほど自分をユーウツにさせた送迎会だったが、なんのことはない、今夜の会は「滝田樗陰の業績を称える会」になってしまった。当の嶋中新社長は「みんな滝田氏をほめすぎだ」と不機嫌な顔をしていた。(中略)この激しい時代の興亡の中で、中央公論社はいつまで生き残れるだろうか。今夜の会は過去を称える会であって、未来を祝福する会ではなかった。

 暗い日記です。新社長が歓迎されてないことが、よく分かる。

 年が明けて昭和4年(1929年)になると、中公のもう1枚の看板「婦人公論」の編集長が辞めてしまいます。新社長との路線の違いからです。木佐木さんは35歳の働き盛りですが、「自分もそろそろ潮時か」と迷いました。

 大不況で世の中は暗いし、社内も暗い。当然、日記も暗くなるわけです。

 1・2巻に比べ、迫力も薄れてきた。社内のことや雑誌編集の苦労話が減って、無能な田中義一内閣への批判があふれている。

 それはそうですね。編集長だから責任は重い。新社長に対する批判めいた言辞も遠慮がちになり、まして若い記者たちへの不満の言葉は抑えられています。中間管理職の悩みでしょうね。

 7月23日(火)の日記で3巻は終わります。「今日も社へ出ない。家人の前では何気なくふるまっているが、内心の憂悶の外に現れることをおそれている~」

 こうして木佐木さんは中公を去り、その後、ライバルだった改造社に移るんですね。

 木佐木日記は1巻だけ読めば十分だ、という評判が多いようです。でも、乗りかかった船です。そのうち最後の4巻も読みましょう。次は幕別図書館にしようかしら。

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