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zoom RSS  "池辺群蟲図"が「虫魚図」になった訳

<<   作成日時 : 2017/07/10 05:15   >>

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 富士正晴記念館でもらった川崎影彦(誤記)「池辺群蟲図」は初出不明となっていた。"影"を晴らさなきゃ、と3枚目のコピーにあった「ぽ」通信(季刊)というのを調べる。大阪市立中央図書館の書籍検索で出てきた。「ぽ」の会(竹林館)の文芸誌PO(1976〜96)が80冊くらいあり、群蟲図は34号(83年8月)の掲載でした。

 池辺群蟲図というのは江戸中期の絵師・伊藤若冲の代表作のひとつ。京都の画家で濃彩な花鳥図を描いた。群蟲図は池の周りに蝶やトンボ、バッタなどの虫たちが群れ遊び、それをカエルや蛇が眺める、幻想的でかつ楽しい絵です。

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 「池辺群蟲図」 (略)足立巻一さんの「若冲の五百羅漢」(「石の星座」収録)を読み、集英社の画集を買った翌々日―黄砂現象の見られる日だったが、私は、若冲晩年の隠栖地・京都深草の黄檗宗石峰禅寺へ出かけた。若冲の墓と円筒型の筆塚は初夏の緑陰にひっそりと立っていた。「斗米菴若冲居士」と刻まれた墓石の粗削りの側面を私は両掌で撫でさすらないではいられなかった。
 裏山一帯には若冲がデザインし石工に彫らせた古拙な五百羅漢像が風化しながら群がっていた。さながら「池辺群蟲図」のあの虫たちのように―。


 川崎さんは40を超えた頃、梅田の書店で若冲の絵に魅せられ、大判の画集を買う。大衆酒場で2級酒を飲みながら細密でユーモラスな「群蟲図」を楽しむ。すっかり気分がよくなり、乗った電車で寝込んで網棚に画集を忘れてしまう。そんな数奇な出会いから、「群蟲図」が始まっていた。

 枚方の学生アパートに移り住み、画集を買い直す。狭いアパートなので部屋の西日を防ぐために本棚2つを窓際に並べ置き、画集をその上に置く。これが本棚と壁の間に滑り落ちた。手前の本棚から本を取り出して動かすと半日仕事になるため放っておいた。

 この画集にヒントを得て、鳥獣虫魚にまつわる短篇を書きため、若冲に由来する命名として「虫魚図」という本にして80年に出版した。ところが数年後に、足立巻一さんの「石の星座」という本をもらい、「若冲の五百羅漢」という文章を読んで、
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3冊目の画集を買う。それが集英社版で虫や獣の絵が「池辺群蟲図」で、「虫魚図」は勘違いと気付く。そして、石峰寺に向かったという結末でした。

 <酒辺虫魚図>の方がぴったりかもしれませんね。(「池辺群蟲図」は短編集「冬晴れ」に収録)

 足立さんの本は「やちまた」をはじめ、「夕刊流星号」や「日が暮れてから道は始まる」など、だいたい読みましたが、「石の星座」は未読でした。

 図書館から借りてきて、早速読んでみました。いいですね。若冲は晩年、石峰寺にこもって五百羅漢の石像の絵を描き、石工に彫らせたんですね。

 小樽・宗円寺は木彫だったし、札幌東区・大覚寺は塑像(粘度)でしたが、石像の五百羅漢は各地にあるようです。大分県中津市の羅漢寺には3700体の石仏があるといい、上には上がありますね。でも、足立さんによると、石峰寺の石彫群は釈迦誕生から来迎諸尊、出山説法、托鉢、涅槃、賽の河原と標示され、釈迦の一代記を山一帯に表わしているのが特徴だそうです。

 五百羅漢を造り上げた若冲は石峰寺で生涯を終え、土葬されました。今度、大阪に行ったら、京都にも寄らねばなりません。

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