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zoom RSS  富士正晴「おばあさんのアルバム」にホロリ

<<   作成日時 : 2017/05/15 05:18   >>

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 富士正晴記念館(大阪・茨木市)の中尾務さんから、報告第22集「おばあさんのアルバム」が届きました。富士さんが1954年に朝日放送のラジオ番組用に書いた短編小説です。富士家から寄託された8万点の資料の中に放送台本があり、これに地元の漫画家うらたじゅんさんの挿絵が付いた小冊子。おばあさんは白系ロシア人、革命の混乱から日本に逃げてきた。シベリアで写真類はなくしたはずだが、おばあさんは大きなアルバムを持ち出してくる。

 ―わが家の書斎の天井は、ひどくすきまが多く、塵のおちてくるのをふせぐため、アメリカの雑誌「ライフ」をバラバラにほどき、その紙をはりつけてある。天井は、ウイスキーの広告写真、いわゆる「時の人」の写真、ニュース写真などがいっぱいである。わたしは仕事につかれた時、畳にころがって、その写真をぼんやりながめていることがあるのだ。

 物語はこう始まる。富士さんは外国の娘たちに囲まれた中年の母親の写真を目にすると、若い哲学者から聞いたロシア人のおばあさんの話を思い出す。

 おばあさんは癩(らい)病院の敷地内にコテージ風の家を建て、40歳くらいになる孫の男と2人で住んでいた。病気の進行がとまり、孫もその兆候はない。哲学者はおばあさんを病院に入れるのを手伝い、ときどき見舞いに訪れた。

 あるとき、おばあさんからアルバムを見せられる。「わたしが1年かかってこしらえた、ロシアでの家庭アルバムなんですよ。おどろきですか」

 アルバムを開いてみると、アート紙に刷られた写真の切り抜きがよく配合されて貼られ、美しいおばあさんの書体でたんねんに説明が書かれていた。

 「きっとご不審でしょうね、この写真が・・・これを、ライフやなにやから切りぬいてきたのですよ。なにかしら身内を思わせる人や、住んでいた所を思わせる写真をね。こうしてアルバムにしてながめているうちに、本当の人や景色、本当のすべてのものが、いつのまにかこの切りぬきのなかに住みついてしまいました。だから、やはり、これはわたしの父、これはわたしの母というよりしかたありません。おわかりでしょうか」

 おばあさんがこう話して物語は終わっていた。帰れない故郷、楽しかった家族の団らんの記憶を雑誌の写真から切り抜いて忍んでいたんですね。ことしは、あの革命からちょうど100年です。

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        (富士さんが描いた「変竹竹屏風」は鶴見さん愛蔵の1枚だった)

 中尾さんは「1954年、富士正晴が上京時に鶴見俊輔から直接聞いた話を材料とした作品です」と解説していました。鶴見さんは一昨年、93歳で亡くなった。当時32歳、このころすでに哲学者だったんですね。鶴見さんは戦後間もなく通訳として、おばあさんと孫が群馬の国立療養所(ハンセン病)に入るのを手伝いました。

 富士さんは茨木市の竹林に住み「(変)竹林の隠者」の異名がある。小説家のほかに書画でも有名。若いころから鶴見さんと交友があり、鶴見さんはもらった「変竹林屏風」を大事にしていたそうです。

 鶴見さんといえば、ベ平連草創のメンバー。米軍の北爆が始まった1965年、東京の画廊で富士さんの個展が開かれていた。鶴見さんはこの画廊を根城に小田実さんらと連絡を取り、ベ平連が結成されたという逸話もあるそうです。

 富士記念館では7月26日(水)まで、<同人誌大好き!「川崎彰彦・富士正晴」展>が開催中。同時に「おばあさんのアルバム」の原画も展示してあるそうです。必見ですね。

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